24 ◯ 先日、佐賀県虹の松原の傷んだ松林の倒木が通行人に危害を与えるという大変悩ましいニュースがあっていたが、本市では生の松原などで同様の懸念はないのか。
本市の郊外には元寇防塁や吉武高木遺跡などに代表される国内でも著名な歴史資源が多数ありますが、比較的整備が進んでいる生の松原の元寇防塁でも、近くに駐車場がないとか、場所を示す看板が分かりづらくて迷ってしまったとの観光客の声を耳にしますし、場所が分かりにくいとの声は吉武高木遺跡でも聞いています。
これは福岡市にある生の松原か、それから今津のところじゃないかなと思っております。これはなぜ福岡市に委託という形になるんですか。そして、どのくらい毎年お支払いになっておるんですか。
きょうは教育部を中心にということで、まずは特別支援学校というのがございますけれども、今糸島市の中で特別支援学校に行っている人、今津、生の松原、そして太宰府とありますけれども、何名の方が行ってあるのか、まずそこから始めていきたいと思いますので、よろしくお願いしたいと思います。
337 ◯教育部長(泊 早苗君) まず、理由と経緯ということでございますが、今回、生の松原特別支援学校高等部の補充募集が行われないのは、高等部の受験希望者が募集定員を満たしたことによるもので、実施協議書のとおり履行したことによります。
191 △教育長 県から補助金等の負担はないが、生の松原特別支援学校と今津特別支援学校においては糸島市在住の児童生徒を受け入れていることから、学校教育法第40条等の規定に基づき、教育事務の委託について本市と協定書を締結し、県が委託事務に要する経費を負担している。
西区福重二丁目6番34号 │無 職│昭和27年8月25日┃ ┠──────┼───────┼───────────────┼─────┼────────┨ ┃市民クラブ │ 西田 裕昭 │西区拾六町四丁目53番2号 │無 職│昭和19年2月13日┃ ┠──────┼───────┼───────────────┼─────┼────────┨ ┃みらい福岡 │ 濱地 輝一 │西区生の松原四丁目
そして、今、生の松原特別支援学校のほうも福岡市のほうでふえているということでございます。そういうことを今答弁いただきましたが、生の松原特別支援学校におきましては、開校以来から増築をずっと繰り返しておられまして、資料によりますと昭和54年開校当初は95名だったのが、現在、平成25年10月1日で209名と2倍にふえておられるということでございます。
また、本市から生の松原だとかに通っておる生徒の数でございますけれども、小・中学校合わせまして43名となっておりまして、合計いたしますと227名という状況でございます。
558 ◯人権福祉部長(井上日出海君) 生の松原特別支援学校、これは福岡市立でございますけれども、平成22年度まで福岡市のバスで送迎されておりましたけれども、自費通学ということで福岡市が決定しましたので、平成23年度から糸島市が送迎バスを運行しております。
今、福岡市の今津特別支援学校、あるいは生の松原特別支援学校に行っている高等部の子供はどのような状況になっているでしょうか。何人。
三里松原、古賀の松原、生の松原、虹の松原、さつき松原など10カ所以上も数えられます。瀬戸内海やその他の海岸から松原がほとんど消えてなくなったしまった今、この日本的な風景は貴重なものとなっております。
皆さん、御存じのように、幣の浜は生の松原と同じように神功皇后伝説があり、古くからの松林です。福井海岸は江戸時代の初期に、唐津の殿様、寺沢志摩守広高公が農作物などの塩害防止や風どめ、飛砂防止のため、領地海岸に松を植えられたと伝えられています。日本三大松原の一つ、虹の松原は代表的な松原として今に美しい姿を見せています。
大入福井海岸、幣の浜の西側、芥屋の内陸部、今津の浜の北側、生の松原、九州大学の演習林は伐倒が進んでいたり、急ピッチで進められている状況でした。しかし、まだ多くの松林が枯死した松をまだ処分していなかったり、異状木が数多く見られたりしたところが多かったように思いました。果たして年度末までにどのくらい伐倒処分ができるのか疑問が生じました。
[答弁] 福岡中央特別支援学校が93%、若久特別支援学校が68%、東福岡特別支援学校が95%、生の松原特別支援学校が84%、屋形原特別支援学校が99%である。
現在、糸島市には県立特別支援学校の設置がなされておりませんので、知的障がいと肢体不自由の子供たちは、福岡市が設置します生の松原特別支援学校──これは知的な部分でございますけど──と、今津特別支援学校──こっちは身体のほうでございます──に通学している現状でございます。